静岡県浜松市が楽器の町になった由来
浜松が「楽器の町」になった5つの理由
1つ目として上げられるのが、「ここに家康が浜松の町を作ったこと」。まず、浜松市の中心部を歩くと、徳川家康をまつる「東照宮」を発見。さらに周囲には、河岸段丘を利用した石垣がある。家康は、武田に対抗するために、天竜川の河岸段丘のヘリであるこの地に浜松城を建て、浜松の町が誕生したという。
2つ目が、「家康の領地で綿花を栽培したこと」。中心地から10kmほど離れた町へ行くと、「暴れ天竜」こと天竜川が頻繁に氾濫するこの地帯では、この「島畑」という高まりで「綿花」を作っていたとのことだ。
3つ目は、「織機をつくる細工大工が集まったこと」。浜松の綿花で織られた木綿は江戸でも評判となり、大量の織機が必要に。そのため、複雑な機工をもつ織機を作ることが出来る「高い技術力を持つ大工さん」が浜松に集まってきたとか。
4つ目は「山葉寅楠がピアノ作りに成功したこと」。明治維新後、アメリカ製のオルガンが浜松にもやってくるが、2か月で故障。そこで、医療機器の修理工だった山葉寅楠が、細工大工を集めてオルガンを修理。これをきっかけに寅楠はピアノ作りを志すようになり、国産初のピアノを独学で作り上げたのだそう。
5つ目は「木材と空っ風」。南アルプスから天竜川で運ばれた木材と、山を越える乾いた空っ風による乾燥という地形的な面でも、浜松はピアノ作りに適していたそう。このようなステップをたどって、浜松は「楽器の町」になったのだという。
ヤマハやカワイ、ローランドといった世界に名立たる楽器メーカーが立地し、楽器のまちとして知られる浜松市は、昭和56年(1981年)から「音楽のまち」づくりに取り組んできました。
その成果が認められ、このたび、世界で7都市目、アジアで初めてとなるユネスコ(国際連合教育科学文化機関)創造都市ネットワークの音楽分野での加盟が認定されました。世界を代表する音楽文化都市へと成長した現在、「音楽のまち」から、浜松市ならではの内発的で魅力的な音楽文化を創造し発信する都市「音楽の都」へと、さらなる発展を遂げようとしています。